【明治初期 用水史料2点】「用水路井渡民費修繕入用取調書」+古文書の雛形/越後国 頚城郡 下広田村 新潟県令 楠本正隆【24-0412-26】

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取調書:4丁、28×19.7cm
古文書:28×39cm
 
明治六年(1873)八月、越後国(新潟県)頚城郡 下広田村が、新潟県令・楠本正隆に提出した取調書と、その取調書を作成するための基礎となったと思われる古文書の雛形。
取調書は、明治元年(1868)~三年(1870)の三年間、下広田村が用水・井渡(井戸)を修繕するために村から自費で支出した金額・人足を報告している。
金額は八円(現在の価値で約16万円)あまり、人足は九百人あまりである。
古文書の雛形は、明治六年(1873)八月付で、新潟県令 楠本正隆に宛てられている。
「三ヶ年 金何程 人足何程」、「越後国何郡 何村」など、県令に提出するための文書の雛形である。
楠本は明治五年(1872)、新潟県令に就任しており、この史料からは、彼が新潟県の村々に、用水整備に支出した費用を報告させたことが推測される。
明治初期、楠本正隆の新潟県令としての政策を知り得る、貴重な史料であると思われる。
 
 
楠本正隆
くすもとまさたか
一八三八 - 一九〇二
明治時代の官僚・政治家。幼名平之允・小一郎、号は西洲。天保九年(一八三八)三月、肥前大村藩の上級武士の家に生まれる。藩校の監察をつとめ、幕末の尊攘・倒幕運動が高まると、薩長両藩に接近をはかり、藩の中老として藩論の統一に尽力した。王政復古後、新政府の徴士・長崎府判事・外務大丞などを経て、明治五年(一八七二)新潟県令に就任。三年余にわたる在任期間中、他県に先がけて県会を開き、信濃川の水運事業をおこし、富商にすすめて銀行(第四国立銀行)を設立せしめ、また、いち早く地租改正事業を推進するなど、積極的な県政改革に努力し、名県令の評判が高かった。その後、地方官会議の幹事をつとめ、内務大丞を経て、八年十二月東京府権知事、十年一月同知事となり、道路改良・市区改正などに功績を残した。十二年元老院議官、ついで同副議長。二十三年七月第一回総選挙に東京一区から出馬して衆議院議員に当選。以後、第二(補欠選挙)・三・四回の総選挙にも当選した。同盟倶楽部→立憲革新党→進歩党→憲政本党に所属し、二十六年十一月第五議会で副議長に選ばれ、ついで翌月、星亨議長が除名された後を継いで衆議院議長となり、二十九年三月第九議会閉会まで議長をつとめた。この間、二度東京市会議長に選ばれた。同年六月男爵に叙せられ、代議士を辞任。地方官として名声を博した割合には代議士時代は業績に乏しかった。明治三十五年二月七日死去、六十五歳。墓は東京の谷中墓地にある。
(『国史大辞典』)

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